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ネオ・ダダ=吉村益信

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吉村益信といえば、例の豚の胴体をカットしてハムになっいく姿のインパクトある作品が有名。
最初期は、廃品(はいひん)オブジェ、パフォーマンス、イヴェント等を特色とする反芸術的な運動を展開した前衛美術家グループ、ネオ・ダダイズム・オーガナイザーズのリーダー格として過激な活動をしたそうです。

吉村益信(よしむらますのぶ)の経歴。

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1932(昭和7)に大分市に生まれた吉村は、武蔵野美術学校へ入学後も、地元キムラヤの美術サークル「新世紀群」などで活動します。
1960年、「新世紀群」の後輩でもある赤瀬川原平や風倉匠などとともに「オール・ジャパン」を結成しますが、篠原有司男の加入を経てネオ・ダダイズム・オルガナイザーへと発展解消します。
(熊本市現代美術館アーティス一覧- http://camk.glide.co.jp/artist/masunobuyoshimura/index.html )

1960年、荒川修作・吉村益信・篠原有司男・風倉省作(風倉匠)・赤瀬川原平ら、読売アンデパンダン展に出展していた若い作家たちがネオ・ダダイズム・オルガナイザーズという組織を結成。その後「ネオダダ」と名称を簡略化し、3度の展覧会を実施したが、荒川修作の除名問題や吉村益信の結婚による活動場所の問題を経るなどわずか1年たらずで解体する。しかし、その間に社会風俗現象として週刊誌などマスコミを大いに賑わせ、一部美術評論家に注目されるアナーキーな作品や構想を数多く残し、スキャンダリズムを旨とする日本の前衛美術のひとつの傾向を示す典型となった。
(Wikipedia -ネオダダ より)

1960年、銀座でパフォーマンスする吉村益信

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当時土方巽氏が在籍していた、目黒にスタジオのある津田信敏舞踊研究所の女性が五人、ハキだめに鶴の感じでホワイトハウス(吉村益信邸)を訪れた。 吉村益信は、電撃的にその中の一人と滝口修造氏の仲人で結婚し、ネオダダは事実上蒸発した。 思えばわずか九ヶ月たらずの出来事だった。
(New York Art.com - 荒川修作、ネオダダを除名 より - http://www.new-york-art.com/old/zen-ei-dai-11.php)

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ビートジェネレーション集団「ビザールの会」のパフォーナンスに出演した吉村益信(後ろ中央)


1962(昭和37)年、渡米。ニューヨークにおいて、個展・グループ展などで活躍したが、1966(昭和41)年、ビザのトラブルで帰国。帰国後は、ネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、1970(昭和45)年の大阪万国博でも活躍し、「反物質 ライトオン メビウス」や「豚;Pig Lib;」などの話題作で一躍注目された。その後、エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、70年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務め、アーティストの社会的自立に貢献した。実験精神にあふれ、変容を続けた作家であった。
(大分市ホームページ - 【現代美術】 吉村益信の作品 より https://www.city.oita.oita.jp/www/contents/1329094386005/index.html)


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1961年の初期立体。第13回読売アンデパンダン展 旧東京都美術館に出展。
『殺打駄氏の応接室』


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『殺打駄の塔』


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1962年作、『空虚』。第14回読売アンデパンダン展 旧東京都美術館、出展。

(写真は、現代美術と骨董のお話 - 時代の薫り…ひろがり/ひろがる よりhttp://blogs.yahoo.co.jp/gigei10/archive/2012/04/13 )


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1966年作、『クイーン・セミラミスI』。長岡現代美術鑑賞展、出展。


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1968年作、『ライトオンメビウス」。毎日現代美術展、出展。


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1969年作、『大ガラス』
(この作品はダダの草分けマルセル・デュシャンの代表作が大きなガラス板を使っていたため、「大ガラス」と通称されていたのを日本語でもじって制作)


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1960年代後半の作品。「ネオン雲プラン1」


「1970年の万博で東京画廊で展覧会をしていた吉村益信(ネオダダ)さんが、(株)貫通を作って・・・」
「電通・日通・貫通。貫き通すと書くんです。今はもうないです。アーティストが会社組織としてアートワークをやった走りです」
「万博の中の仕事(繊維館)を請け負ったんです。プランを出してオブジェを作るとか、色彩計画をやるとか、あとお祭り広場のイベントも請け負って、内田裕也のフラワートラベリングバンドと当時はイージーライダーが流行で、オートバイとロックのイベントを企画したんですよ。お祭り広場の電光掲示板にFUCKなんて言葉を大ピラに出して」
「儲かりましたけど終わった後は企業は離れていって。その後、アートコンサルタントとしてアプローチしても断られて・・。赤札やアブアブの改装をしたりマネキンを作ったり・・売り込みも色々したようですが、自然消滅してしまって。 皆それぞれ作家に還っていったんです。会社は三年位しか続かなかったかな」
(日本洋画界の巨匠の兒嶋善三郎の孫、兒嶋画廊の兒嶋氏インタビュー http://www.gaden.jp/info/2002a/020627/0627.htm)


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日本万国博覧会せんい館


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繊維館を飾った四谷シモンの「ルネ・マグリットの男」



『豚・Pig lib』

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1971年作、『豚・Pig lib』。現代日本美術展、出展。


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『豚・Pig lib』の1994年リメイク作品。

吉村は70年代に出演したテレビ番組で三島由紀夫の切腹との関連性を語っていたらしいが、フランスのポスター作家、レイモン・サヴィニャック(Raymond Savignac)の「ham」という1950年作の作品のパロディではとの指摘もある。

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こちらは、Raymond Savignacの作品「ham」。

(写真は、堀川紀夫のアート日記 - 訃報(吉村益信)より http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20110319/1300468067 他のサイトからも追加)


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1973-74年作品。「cut sea A」


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1984年代の作品。左は「月月の静物(1) シルクスクリーン・エディション ’84 」



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2011年3月16 日。 吉村益信氏が死去。前衛的な美術活動を展開. 1960年結成の前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の主要メンバーの一人で美術家の吉村益信氏が死去したことが16日、分かった。78歳。大分市出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。(多臓器不全のため15日死去)
(吉村益信氏が死去 前衛的な美術活動を展開 - 47NEWS)

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2011.3.15まで美術家 故 吉村益信が使用していたアトリエ。神奈川県秦野市菖蒲1532-29

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建物に刻まれた文字

吉村益信が没後、2011年8月から同年10月まで、陶芸やガラス作品、手作りアクセサリーなどを扱うギャラリー「Atelier Shoubu1532」として使用された後、現在は貸しギャラリー「Gallery1532」として使用されているようです。
http://shoubu1532.exblog.jp/m2011-07-01/
http://www.0463.tv/mikurube-tamago/gallery1532.html


「ネオ・ダダJAPAN 1958-1998 磯崎新とホワイトハウスの面々」

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赤瀬川原平、荒川修作、風倉匠、木下新、篠原有司男、田中信太郎、田辺三太郎、升沢金平、吉野辰海、吉村益信他収録
1998年/大分市教育委員会
「ホワイトハウスとは新宿にあった吉村益信アトリエの通称名で、 基本設計を磯崎新が行いました。このホワイトハウスはネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの活動拠点として使われネオ・ダダの面々がたむろしていた場所です。
この商品はそんなホワイトハウスを設計した磯崎新と、その当時集まっていたネオ・ダダのメンバーを中心に日本のネオ・ダダのことをボリュームある内容で紹介しています。」
http://www.natsume-books.com/natsumeblog/?p=2808



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